なぜ軽井沢駅が駅そば発祥なのか❓
知ると分かるロマン溢れる鉄道のお話
GWの軽井沢、相変わらずの人気だ。
ここは全国でも有数の避暑地。
アウトレットや洒落たカフェも多い。
でも今回はそんな流行の話題ではない。
軽井沢は駅そば発祥の地
駅の立ち食いそばと聞いて、まず私が思い浮かべるのは、寒い冬の駅で食べる温かいおそばだ。
つまり、私にとっての駅そばは乗り換え時間に食べる温かい物というイメージがある。
軽井沢は駅そば発祥の地と聞いて、早速軽井沢駅に向かった。
それにしてもなぜここに❓
駅そばの最古は、明治30年代の軽井沢駅とのこと。
なぜ軽井沢なのか、その答えは鉄道のロマン溢れる歴史と深い関係があった。
今でこそ、東京から長野新幹線で1時間もすれば軽井沢に到着するが、明治時代は鉄道で日本一の急勾配の66.7パーミル(1000m水平に進むと66.7m標高が変わる)の碓氷峠越えをしなければ、軽井沢に来る事は出来なかった。
その当時の碓氷第三橋梁
この碓氷第三橋梁は通称「めがね橋」とも言われ、今はその橋の上を歩く事も出来る。
👇過去に訪れた記事はこちら
この急勾配の山道は、東京と軽井沢(長野)間の物資の輸送にどうしても開通させなければならないパイプだった為、技術的にも人員的にも相当なエネルギーを費やした。
併せてトンネル開通には事故も多かったようで、今でも熊ノ平駅には慰霊碑がある。
当時はこの信越線の軽井沢駅の列車の連結に長い時間を要した為、その待ち時間に乗客や乗務員達が冷えた体を温める為にも、おそばを食べたのがこの軽井沢駅そばの始まりだと言われている。
凍てつく霧深い駅での温かいおそばは、さぞや美味しかっただろうと想像される。
その信越本線の「あさま」号は1997年(H9)長野新幹線開業とともに長い歴史に幕を閉じる。
そして今の軽井沢駅は新幹線開通と共に近代的に様変わりした。
おそば屋は「しなの鉄道線」改札口を出た所にあるので、新幹線口からは分かりづらい。
駅そばを始めたのは、この「おぎのや」ではなく違うお店なので、正しくはこのお店自体が駅そば発祥ではなくて、軽井沢駅というこの駅が発祥地という事になる。
ここの駅そばは、JR東日本社員のアンケートで全国一となったことがある。
そしてメニューを見ると温かいおそばのみで、冷たいおそばは無い。
見ると数年前より30円程値上がりしている。
最近はなんでも値上がりしているようで駅のおそばも例外ではない。
私は券売機で天ぷらそばを購入した。
なるほど、ここは注文毎に生麺から茹でるタイプで食券を出すと忙しそうにカウンターの中でお店の方が麺を茹でてくれる。
出てきたおそばは、出汁が効いている若干甘めの醤油ベースの味付け、信州は蕎麦の産地だけあって期待を裏切らない美味しさだった。
天ぷらの具はしいたけ、人参、玉ネギ、長ネギで、麺の硬さはちょうど良かった。
ただし、注文を聞いてから茹でるので、5分ちょっとは待たなければ頂けない為、電車にこの後乗る予定があれば、発車時刻に遅れないように注意が必要だ。
おぎのやと言えば「峠の釜めし」で有名で一度は食べた事がある人も多いと思う。
数十年前、駅の立ち食いそばに初めて1人で入った時の事は、今となっては懐かしい思い出だ。
(当記事は2021年に書いた内容を元にそばの価格改定に伴い、加筆・修正した)
* Thank you as always *
★★★ ブログランキング参加中 ★★★
↓ click ↓
人気ブログランキング
▼ よろしければ 読者登録 お願いします! ▼